第5回さが桜マラソンレポート 最終章 |
レポート 伊香賀 俊介 |
ここ2~3年 馬場ボディー前では
“姉川の星 伊香賀 頑張れ” の大絶叫の応援、通り過ぎても 後方より 聞こえる必死の連呼!
しかしながら、姉川の星は30キロまでもたず、流れ星のごとく消えていくのだった。
2度あることは3度ない(はずだ)!
今年こそ復活するぞ、と気合いを入れるため46年ほど前の青春時代のスタイルを取り入れようとした。
つまり、学生時代、合気道部で着ていた道着(重いので下だけ)と黒帯姿で走ることにした。(ホントは、何かしないとレポートの材料がない)。
ところが、前夜いくら探しても黒帯が見つからない。
白帯はあったが白帯じゃ気合いが入らない。
却下。
いつものスタイルにした。
うちのRC(夢追い走人)には、陰の中心人物Mさんがいる。
超明るい人物で、ムードメーカー。
だけど、実は めちや遅い。
でも記録を言うと、なかには“スゴイですねえ~”、
と尊敬される人がいる位の記録の持ち主でもある。
多分、ウルトラマラソンの記録だと勘違いされるのだろう?
また、常人には考えられないクレージーな人物でもある。
このMさん、なんとか、フルマラソンを制限時間内で走りたいと制限時間の長い、京都木津川マラソンを見つけられた。
が、それでも完走が心配だったのか、2個は必要ないからと腎臓を1個取り(さすがに、マラソンを完走するためとは言えなかったとみえ、我々にはがんの手術ということにしてある?)。
しかも、手術後すぐ念願の初マラソンを完走された。
昨年は、もっとタイムを縮めたいと盲腸をとられ(これも必要なかったのでは?)、10分ほど記録をのばされた。
多分今年は 爆笑問題の田中のように、あれを1個とられるのでは・・・?
私は、そこまで根性はない。見習うつもりもない。
が、現実には、自分のマラソン記録はいよいよ追いつめられてきた。
今回も5時間57分台。
昨年も一昨年も似たような記録だった。
第一回のさが桜の記録よりも、1時間半以上も遅い。
もはや完全に陸上競技ではない、
スポーツという感覚でもない。まさに、超どMのサバイバルゲームでしかない。
案の定、今回もハーフくらいまでは順調で、しかも自分では自重して走っているつもりで多少余裕さえ感じていたが、
神埼を抜け工場団地へ向かう頃には、いつものように“ガス欠“。
それでも何とか歩くまいとちょぼちょぼ走っていたが、時々早歩きの人にさえ抜かれた。
気分をまざらすため我が青春時代のうた、故かまやつひろしの”我が良き友よ“を口ずさんだが、この曲まさに脱力ソングで、益々気力が抜け、すぐやめた。
そんな時、田んぼの中で、一人の女性が電信柱を押していた。
あまりに必死に押しているので、横を通り抜けるとき、「電信柱が倒れるよお~」と、さりげなく言って通り過ぎた。
一瞬間をおいて、後方より笑い声、その後スーと抜いて行ってしまった。
その後も、ガードレールを足や両手で必死に押し倒そうとする人がたくさんいた。
みんな元気だなあ~?
過去のレース経験から、歩いていても、ちょぼちょぼ走り出すと、そのまま数キロ走り続けられたりしたこともあったので、何度かトライしたが、長くは続かず、ストストストとエンスト。
残り数kmとなる多布施川でも、結局エンジンはかからず何とか ゴールまでたどり着くのがやっとだった。
ゴール後、振り返ってお辞儀が出来たのだけはよかった。
いつもそうしようとは思っているのだが、その時はフラフラで忘れてしまう。
関係者の皆さん、大勢のボランティアの皆さん、ありがとうございました。
レポートの材料が乏しく、Mさんを利用してスミマセンでした。
僕は、6時間のサバイバルゲームで精一杯です。Mさんのガッツは本当に尊敬しています。
“青春とは 人生のある期間をいうのではない。青春とは心の持ちようだ。”
という、有名な詩があります。
いくらタイムが遅くとも、例え完走できなかったとしても、このマラソンというサバイバルゲームのスタートラインに立ち続ける勇気と情熱を持っている限りは、僕らはまだ青春しているということではないでしょうか。
還暦過ぎのたくさんのRC(夢追走人)のみなさん、
『これも青春だ!最終章』がず~と完結しないことを願っています。